歴史に造詣の深いスアン・フンさんに学ぶ インドシナ戦争
かつて「サイゴン/Sai Gon」と呼ばれ、1976年に改名された「ホーチミン市/Thanh Pho Ho Chi Minh」。まずは街の名の由来である、故ホー・チ・ミン主席について学びに行きましょう。
【プロフィール】 ホー・スアン・フン(Ho Xuan Hung)。大手日系企業などで日本語通訳として12年以上の経験を持つ。その深い知識をもとに、ベトナムの歴史をわかりやすく案内。
■生い立ち ベトナムがフランスの植民地だった1890年5月19日、故ホー・チ・ミン(Ho Chi Minh)主席は中部ゲアン(Nghe An)省で生まれました。父やその抗仏活動家の友人たちの影響を受け、彼は幼少よりベトナム独立には海外へ行くべきだと考えるようになっていきます。そして1911年にサイゴンへ向かい、6月5日にはフランス商船に料理人として乗船、祖国独立の方法を模索すべく旅立ちました。この記念館は当時、運送会社「メッサジェリザンペリアル/Messageries Imperiales」(1863年設立)があった場所。そこに「ここから旅立ったホーおじさん(Bac Ho)が帰ってくるように」と願って建てられたのです。
■海外活動とベトナム独立 パリへ渡った1917年、ロシア革命が勃発。この革命に自分のとるべき道を確信した故ホー主席は、フランス共産党創立メンバーの1人となりました。世界中の革命家と親交を深めて革命思想を学び、1930年には香港で「ベトナム共産党」を結成。1941年には30年ぶりにベトナムへ帰国し、祖国統一戦線「ベトナム独立同盟会」(ベトミン)を結成します。そして1944年にヴォー・グエン・ザップ(Vo Nguyen Giap)将軍を最高指揮官に「ベトナム人民軍」を組織、1945年8月13日には国民に一斉蜂起を呼びかけ「八月革命」を起こしてハノイに入場、9月2日に「ベトナム民主共和国」の独立を宣言して大統領となったのです。 ですがフランスは独立を認めず、1946年に「第1次インドシナ戦争」が勃発。1954年「ジュネーブ協定」締結によりフランスのインドシナ領支配は終了したものの、ベトナムは北緯17度線で南北に分断されました。また協定に基づく1956年の統一選挙を南のベトナム共和国ゴー・ディン・ジエム(Ngo Dinh Diem)政権が拒否、これに対し北部は1960年に南ベトナム解放民族戦線(ベトコン/Viet Cong)を形成し、ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争)へ突入していきます。以降、社会主義の北部と資本主義の南部は、1975年4月30日の「サイゴン解放」まで戦いを繰り広げていくのです。
住所:1 Nguyen Tat Thanh St., Dist. 4 電話:(08) 9401053 / 8255740 開館時間:7:30〜11:30 / 13:30〜17:00(月曜定休) 入館料:1万ドン(約70円)
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(2008年10月号 | 2008年10月28日 火曜日 15:04 JST更新)
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