10月30日(月)/晴れのち曇り
そして、旅の終わり
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北ルートに咲き乱れる花々。標高1900mほどの地点は高原の雰囲気。昼食を持って、ゆったり日帰りハイキングを楽しんでみるのもいいかも |
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標高の低いところでは、広葉樹が数多く見られた。山道には落ち葉が舞い、どこか日本の秋を思わせる(写真小)チャムトンの登山口。北周りルートはここから山へ入る |
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下山途中、これから山を登る、幾つかのパーティーと出会った。カナダ、フランス、スペイン、イギリス。様々な国籍の人々が、揃ってあの頂を目指していた。どのパーティーも目的地は同じ。そして同じ山道を、先人たちの足跡をたどりながら登っていた。
「山を登る」。それ自体にどんな意味があるのかと尋ねられると、答えるのはきっと難しい。草をかき分け、疲れや足の痛みに耐え、ただひたすらに上を目指す。そんな苦行にも似た行為を求めて、なぜ誰もがこの山にやってくるのだろうか。「自然を感じたい」、「頂上からの景色を見たい」、「ただ山が好き」。きっと動機は人それぞれだが、おそらくそんなことは、どうでもよいことなのだろう。
振り返り、遠くファンシーパンを見上げてみる。動機も、目的も、年齢も、国籍も、ベトナムが誇るこの山の大自然を目にすれば、全てが小さなことのように思えてくる。遙か昔から、ベトナムそしてインドシナの人々の営みを見守り続けてきた山、ファンシーパン。その存在を感じるだけで、山を登る理由なんて、きっと十分なのかもしれない。森も、渓流も、あの頂の記念碑も、全てが誰もを同じように迎えてくれるのだから。
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