<伝統衣装に、今こそ熱い風を吹かせたい>
アオザイ今昔物語
17世紀初頭から1930年代まで、北部農村でよく着られていたのが4枚の生地を縫い合わせたタイプのアオザイ。当時の道徳観念により、女性の体のラインを隠すシンプルなデザインだった。
一方、 北部や南部の都市における上流階級の女性の間では、5枚の生地を合わせたアオザイが人気。裕福さと社会的地位を示すために、4枚生地のアオザイとは異なる色使いや装飾、生地が使われたが、体のラインを隠すためのデザインは同じだった。
1930年代に入ると、フランスの影響などを受け、史上初めて女性の体のラインを強調するデザインへと変わる。特に、レーフォー(Le Pho)と、グエン・カット・トゥオン(Nguyen Cat Tuong)のデザインしたアオザイは革命的と評価された。
1958年には、襟のないアオザイが登場。首と肩の一部を露にしたデザインで、さらに男性の象徴とされた竹を上下逆さまにあしらった「反抗的」なパターンが話題を呼んだ。これは、サイゴン女性の自立的なライフスタイルへの変化を表すものであった。
さらに1968年には、アメリカの影響で「ヒッピー風」アオザイがサイゴンの若い女性の間で流行。裾丈が短く、スリットは深く、ゆったりとしたデザインで、鮮やかな色使いが特徴だ。
そして現代。1988年にホーチミン市で開催された「ミスアオザイコンテスト」をきっかけに、モダンアオザイが次々と生み出されるように。アオザイは、常にベトナムの歴史と連動して変化し続ける存在のようである。 |