戦勝50周年!
ディエンビエンフーが、いま熱い!!
5月7日の戦勝記念日に向け、
市内各地でイベントが目白押し
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今もディエンビエンフー市内に残る当時の戦争の遺物(フランス軍が使っていたM1戦車)/一部のターイ族の高床式住居の屋根には、谷底から石灰岩を薄くスレート状に切り出した正方形の石板が使われている。その重さは4トンにもなる |
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第一次インドシナ戦争(フランスとの戦い)が終わってから、今年で50年。そして、この戦争の終結を決定付けたのが「ディエンビエンフーの戦い」だ。と、ここで「ディエンビエンフーの戦いって何?」との人もいるだろう。そんなアナタにちょっと歴史を解説すると…。
ハノイの西470kmにあるディエンビエンフーは、険しい山々で囲まれたライチャウ省(Lai Chau)の省都。北を中国、西と南をラオスに接する、国際戦略上の重要拠点だ。当時フランス軍はべトミン(ベトナム独立同盟)軍のラオス侵攻を止め、ベトナム全土の再植民地化を図ろうとしていた。そこでこのディエンビエンフーに1万人以上を擁する巨大要塞を建設、べトミン軍主力をおびき寄せ、一気に殲滅する計画だった。しかし、これに対しヴォー・グエン・ザップ将軍率いるべトミン軍は、フランス軍の5倍にあたる兵力を結集。更に後方支援に約30万人もの地元民が加わり、高射砲などの重火器さえも驚異的な人海戦術で山越え谷越え、一気にこの要塞を囲むように配備してしまった。1954年3月、攻撃を開始。その砲撃と巧みな塹壕戦に翻弄され、約2ヶ月後の5月7日、フランス軍は1万6000名が捕虜となって敗退した。その後7月20日に調印されたジュネーブ協定により、フランスはインドシナから完全撤退。約100年続いたフランスのインドシナ植民地も遂に終焉を迎えることとなった。
民族が団結し当時最強と謳われたフランス軍を敗退させたこの戦いは、今も健在のザップ将軍が「愛国主義とは、すなわちディエンビエンフーの精神である」と説くほどに、ベトナムにとってその意味は大きい。戦勝50周年の今年、関連テレビ番組の放映や各地での記念集会が開かれ、もちろん町の至る所に今も当時の物が遺されているディエンビエンフーでも、5月7日を前に各種イベントを開催中だ。民族の誇りと勇気がもたらした記念すべき勝利の日。ディエンビエンフーの地で、あなたもその熱い想いを肌で感じてみてはいかが? これから現地で開催される記念イベントは以下の通り。
- 自転車レース(4月24日〜5月6日/フエをスタート、ゴールはディエンビエンフー)
- ディエンビエンフー関連フィルム映写&観光交易フェア週間(4月30日〜5月7日)
- 鎮魂祭(5月5日/A1の丘にて)
- ディエンビエンフー戦勝50周年記念公式式典(5月7日)「ディエンビエンフーの戦い」戦勝50周年記念イベント
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